V6の経緯

V6解散は予定調和か時代の流れか、どちらもあるだろう。

トニセンとカミセンがあったが、大きなグループを総括してV6というグループだった。

人気の持ち番組は「学校へ行こう」だった。放送も長期に渡り、若年層を中心に人気はピークだった。

テレビ黄金時代を牽引していた番組でもあり、番組内の各コーナーは社会現象に拡大していった。

メンバーの活動は、バラエティー、歌番組、俳優と分岐していく。V6はそれらすべてをこなした万能グループだった。しかしメンバーにより活躍のメインになる仕事は大きく異なったのも結果ではある。

ジャニーズグループは、メンバーが脱退して本来の人数が残らないまま活動を維持するのが恒例になってしまった。

しかし、V6は全メンバーが脱退することなく解散ができた。本来のグループ活動と役割を果たせたといえるだろう。

同系列アイドルグループに不仲説があった。しかしV6はほとんどなかった。現代の全アイドルグループが抱える問題であり、だいたい誤解だが無視はできないファンが大多数だろう。

社会の縮図として、同じ職場で気に入らない人間がいるのは良くある。無理して仲良くするほうが不自然もしれない。

V6は数々の楽曲を排出したグループでもある。自分はワニを見るたびに「WAになっておどろう」を思い出す。当時のバラエティ番組を見た世代には共感できる話題だと思う。

解散は活動の終わりではない。誰もが新しい環境で新しい活動が出来るはずだ。解散や別れはその契機でしかないといえるだろう。