パラダイムシティ、この町は記憶喪失の町。
漆黒のスーツに長身、肩幅は広く凛とした出で立ちの青年。彼はこの町の世情を誰より知っていた。
「今回の依頼ですが、私ではどうもお力添えになれません。」
開口一番のロジャーの発言に、怪訝な顔をしてにらみつける老婦人。
2か月前、この老婦人がロジャーの邸宅を初めて訪れた際に事態は遡る。
アンドロイドであるドロシーの姉、ドロシー1は、黒いメガデウスとの戦闘で爆破、四散した。この事件の際、ドロシー1のコアユニットが見つからず、軍警察のダストンがこの件についてロジャーに口外していたのだ。
この老婦人はそのコアユニットを偶然発見し、わずか数センチの鉄塊を胸のペンダントに加工して、身に着けていたのだった。
老婦人はペンダントを着用し始めてから、家に空き巣が入り、出掛ける際には必ずボディーガードをつけなければいけないという自制を強いられたのだ。
初めてロジャーの邸宅に来た時、窃盗犯たちがなぜペンダントを狙うのか?という依頼内容だったのだが、事態はより複雑に入り組んでしまっている。
「私はあの黒いメガデウスが倒した機械人形の忘れ形見を、あなたが終生大事にしようとしていることを否定し、同時に理解に苦しんでいるのです。」
ロジャーの発言虚しく、数千カラットのダイヤモンドを超える輝きを、手放せるはずがないの一点張りである。
何を隠そう、ドロシー1のコアユニットは並みのジュエリーでは見せない玉職を見せる、至宝といえるにふさわしい外観をしている。
「その魅惑の球体を手放しさえすれば、あなたが安寧を得られると、私は真摯に語っているのです。」
老婆との交渉は決裂、普段通りボディーガードに背中を守られ邸宅を後にするマダムを、ロジャーはやれやれと見送る。
「あのおばあさん、あと何か月生きられるかしら」
ドロシーが不必要なマスクを着用し、部屋の隅にあるほこりをモップで掃除しながら語り掛ける。
ドロシーとドロシー1の因縁と顛末を知るロジャーは、少しアンニュイな顔をして出かける準備を整える。
執事のノーマンに夕食のローストビーフにはマスタードソースが付け合わせでほしいと告げ、高級車で屋敷を後にする。
高速道路を走り抜ける黒塗りの高級車(グリフォン)の車内で、状況を整理する。
老婆がドロシー1のコアユニットを手に入れた経緯に疑問が生じる。私が調べた限り、ドロシー1が全壊した道路に当時彼女はいなかったのだ。
彼女があの至宝を手にしたのは最短でも3か月前であるはず、どう考えても状況がその結果を許さない。
ロジャーは高速道路を抜け、シティの最果てに点在する孤児院を訪れた。子供たちが縄跳びで遊ぶ中庭を抜け、メガデウスの戦闘を見ていたシャレメという保育士の女性と会話を紡ぐ。
年は24歳ほどで、栗色の髪をした、小動物を思わせる顔立ちの女性だ。
「もの凄い爆音と土煙でよく見えなかったけれど、不思議なことは特にありませんでした。」
「この宝石について知っていますか?」
「いいえ、何も。」
「では、あなたが身に着けている宝石は?」
「ええと、祖父にプレゼントされたものです。」
「なるほど、ソルダーノという人物をご存じですか?」
全く聞いたことがないと答えたシャレメと軽く世間話をし、子供たちにシティ中心部で流行っている伝承の歌を教えた後、孤児院を後にするロジャー。
屋敷に帰る途中、奇妙な人だかりを目にする。田舎道に高級車を止め、サングラスを外し群れに入る。
人だかりの中心には、一人の老紳士が風呂敷を広げていた。そして身なりのいい金持ちの服装をした聴衆一人一人に、謎の輝きを放つアクセサリーなどの貴金属を売りつけていた。
こんな片田舎でなぜ…。ロジャーは事態を見守るが、宝石を買ってすぐに身に着ける富裕層たち。値段はどれも同じタイプの宝石なら10倍はするはずだが、驚くほど安価で売り捌いていた。
人だかりが少なくなってきた具合で、老紳士はロジャーに語り掛ける。
「お前さんにはどの宝石が似合うかねぇ。そうだ、栗色の腕輪がいいじゃろうて。」
「せっかくですが遠慮しておきます。それより、先日シティで起きたボヤ騒ぎに興味がおありではないですか?」
老紳士は一瞬で顔色を変え、敵意の眼差しを向ける。ロジャーが問いただそうとした刹那、尋常でないスピードで町の小路に消えていった。
どう考えても人間の走り方ではないそのスピードを見て面食らったロジャーは、地域住民に取材をしてから帰路に着く。そしてノーマン、ドロシーらと食事を始める。
「ノーマン、今日のローストビーフは黒コショウがいいアクセントだ。ソースもフルーツの風味が生かされていておいしい。」
ありがとうございますと頭を下げるノーマン。食器をフォークで突っつくだけのドロシーがロジャーに語り掛ける。
「今日あなたが会ったシャレメっていう女性、なんだかとっても怪しいわ。」
「人を疑うのは根拠がある時だけだと教えたはずだが違うかな、R・ドロシー・ウェインライト?」
「親切で言ったのに、やっぱりあなたって最低だわ。」
ドロシーは食器を携え洗い場に向かう。ロジャーはスープの最後の人啜りを口にした後、自室のベッドに入り、一人心の中で独白する。
「孤児院の女性、ドロシー1、謎の老紳士が売り子…。」
真実とは、望むと望まずと必ず白日の下に晒されるものだ。私の感が正しければあるいは…。
夜は更けていき、ロジャーは自然と眠りに入る。
夢の中の世界で、シャレメと老紳士が子どもたちと手を繋ぎ詩を歌う。昨日園児らに教えた伝承を口ずさむが、誰もが虚ろな目をしている。
何故かその内の一人が、幼い時期の自分自身であり、デジャヴと不安と共に夜を過ごした。
次の朝、ピアノの爆音とともに、ドロシーの日課であるやさしさのない旋律のソナタで、ロジャーは目を覚ます。
「私のささやかな朝の始まりにも、宝石のような優しい輝きが欲しいものだ。」
※②に続く。